頤和園の見所
頤和園は面積290ヘクタール、万寿山や昆明湖からなる。
昆明湖は元々、北京の西北郊外の泉水を引き、天然湖となしたものだ。その水面は、頤和園の総面積4分の3である。湖上には東堤、西堤、南湖島、十七孔橋などの美しい景観がある。
万寿山は頤和園の代表的な風景で、高さ58.59mである。山の南側は「前山」と呼ばれる。ここに巨大な代表建築群が配されている。この建築群の中央は排雲殿で、排雲殿の前方には、排雲門と二宮門があり、二つの門の間、池に漢白玉の「金水橋」がかけられている。東西両側には、それぞれ「配殿」と「耳殿」がある。

万寿山の北側は「後山」と呼ばれ、チベット仏教寺院の傑作・サムイェ寺(チベット自治区ダナン北部)を模したという建築群「四大部洲」がある。それらは漢族とチベット族の建築様式を融合させたもので、壮大で鮮やかな色彩である。残念なことに、清の咸豊10年(1860年)、英仏連合軍により、ほとんど焼き払われてしまった。近年以来、大規模な修復工事が行われている。 
万寿山の南麓で、昆明湖の北岸に、東西にはしる長さ728メートルの彩色画の長廊がある。 長廊には合わせて273間あり、内部の梁にはみな、生き生きとした筆致の「蘇州式彩色画」が八千幅も描かれている。彩色画の内容は、風景、花鳥などのほか、『三国志演義』『西遊記』『西マ瘠L』『説岳全伝』『封神演義』などの物語がある。長廊は中国の古典庭園建築において、きわめて高い芸術的価値をもっている。

清の光緒帝(1875~1908年)の寝宮「玉瀾堂」と慈禧太后の頤和園の住所「楽寿堂」は、昆明湖北東側の湖畔に位置しており、中国近代史における重大事件を検証する建物となっている。
光緒24年(1898年)、「戊戌の変法」の失敗後、慈禧太后は、光緒帝を玉瀾堂に軟禁した。

